私は武蔵野美術大学を中途退学することにした。
まさか本当にこんな記事を本当に書くことになるとは思わなかった。
さぼりさぼりだったブログの更新も今年に入ってからやたらとやる気になり、2月は怒涛のレポート(手書き)期間を過ごし、レポートを見ると手首が重く感じるトラウマに陥りながらも、身近なものごとを改めて観察し、言葉をまとめるレポートは楽しかったし、意外と好きかもしれないと思った。来年度はいくらかレポート科目を取ろうと考えていた矢先。
私は大学を退学することにした。
いつの日か、過去の記事(「なぜ勉強を始めたのか?」)でこんな事を書いた。
もしDirectionが決まれば、途中休学なり、退学も、アリだと思っています。つまり私の目標は「大学で学ぶこと」にあるのではありません。もう十分学んだと感じたり、或いは、自分を突き動かす抑えきれない何かがうまれたとき、もうそこで「学校での勉強」は終わるつもりです。それがない限り、進学や卒業をマイルストーンに頑張ります。
私は武蔵野美術大学で学びたいと思っていたが、あくまで、デザインを体系的に学びたいというところにあり、「大学を卒業したい」という目標ではなかった。そのため上記のようにDirectionが決まれば休学や退学もあり得る、と書いていた。その言葉は今でも生きていて、そして今、この記事を書いている。
最近の別の記事(「なぜ勉強を始めたのか?」)では、学びたいことは概ね学べたと感じていること、この状態で4年進学をすべきかどうか、もっと他のことにチャレンジするか、そのために休学や退学をするかで迷いが生じている気持ちを次のように書いている。
ムサビ通信に入る目的はアイデアを形にする手法を身につけて、アイデアを表現できるようになることに集約される(ただし完璧さは求めない、完璧さを求めると永遠に何もできないと思っているから)。そういう意味ではもう目的は十分達成しているような気がするのだ。
投げ出すようなことがいやだという謎の自意識と、ここまできたから卒業したいというサンクコスト的な意識と、体力的にも本当にキツイという気持ちと、他のことをやりたい気持ちと、それは本当に学校をやめないとできないのかという迷いの堂々巡りだ。
堂々巡りばかり繰り返しは良くない…。やめるのはいつでもできるのだからとりえず継続しようというのが、今の現状だ。ただの結論の引き延ばしかもしれないけれど。
この時の記事を書いていた私は、続けることと、やめることのそれぞれの意義を感じており、やめるということは出来なかった。自分でも書いている通りただ結論を先延ばしにした。先延ばしにする間に何かが見つかればまた方向も変わるかもしれないと考えていた。
そして、最終的に中途退学を決断した。
色々な思いが駆け巡る。中途退学ということにはなるが、武蔵野美術大学で学べて本当に良かったという思いや、これからのこと。
改めてブログ記事を書く予定なので、とりいそぎここまで。
(この拙いブログをどんな方が読んでくださっているかわからないが、はてなブログユーザーの方であれば、☆で示してくださると嬉しい。今後の参考とさせて頂きたいと思う。)